座右の銘
初めてその言葉を聞いたのはいつだろう?
親が山口県出身で縁の地には色々と行った。その時なのかな?
でも、なんか雷雨に打たれたように思ったのは中学生の時だったかなぁ。
「おもしろき こともなき世に おもしろく」
高杉晋作の辞世の句とされてる(現在はこれが辞世の句とは否定的な意見が多いみたいだし、世「に」なのか世「を」なのかも不明だそうですが、、、)言葉ですが、それからというものこの言葉に従って、何かあるとこの言葉に帰ってきて行動してます。
正直、「すみなすものは こころなりけり」ってのは蛇足の様に感じます。まぁ、本人が詠んだ訳じゃないし。
自分にとってはもっと広くて深い意味がある言葉です。
常々、なんでこんなにつまんないんだろう。どうしてこんなに退屈なんだろうと思ってました。
その後に哲学なんかにも興味を示して、所謂「メンヘラ」のようになったりもしましたが、その前からずーっと世の中って退廃的だなと思ってました。
そんな折に、「おもしろい」と捉えるしかないような出来事が続きました。
平々凡々だと思ってた自分の境遇が、実はそこまで平々凡々としたものでもないと落胆した時もあります。平凡を嫌ってた筈が、平凡から逸れるとそれに文句を言ってました。
でも、だからこそ「おもしろい」と捉えるしか、退屈じゃないだけマシじゃないかと前向き?な気持ちになりました。
もちろん、「よっしゃ!なんか面白い事やったんで!」みたいに純粋にポジティブな意味もありますが。
晋作がどういう意図で詠んだのかは知りませんし、最早知る術もないようですが、少なくとも僕の座右の銘として、最も確かな言葉です。
おもしろくありたいし、世のことは全ておもしろい筈です。
ふと、自分が晋作が亡くなったのと同じ年齢になった今、なぜだか急に思い出しました。
怪我しました
やられた。誰になのか何になのかはわからないけど。
これはきっと、立ち止まってゆっくり考える時間を貰えたという事だろう。
色々と考えて、自分の気持ちや思考にも気づいた。
考える時間もなかった事もしっかり考える事ができた。
怒りの原因は、その人の良いところを何故その人自身が殺してしまってるのだろうかというところだった。
もちろん、その良いところも僕の主観でしかないし、もしかしたら僕しか感じないことなのかもしれない。
能力のある人がその能力を行使しないことが嫌いみたい。少なくとも僕はその人の能力を尊敬していた。
その人のことを嫌いになった訳ではない様なので安心した。
そして、現状の自分。
「面白いこと」をしようとしてる自分。どこに向かってるのかわからなかったけど、ぼんやりと見えてきた。
今はまだ、土台を建設してるところだけど、この土台も完成が見えてきた。(工期がどのくらい残ってるのかはわからないけど)
そして上に積んでいくもの、何階建てにするのか、ぼんやりと見えてきた。
前ばかり見てたけど、横にも目を配るべきだったなぁと反省。方向性を探ってたのに、視野が狭すぎた。きっとどこかで後ろを見る必要性も出てくる。
その時にしっかりとやれるようにならなくちゃ。
悩めるって幸せなこと。それだけ可能性があるってこと。まだしばらくは悩んでいたいな。
近況
色々とあったので、色々な感情が巡ってます。
軽い話でも簡単な事でもなかったから。
そんな時期に何故こんな面倒な話を持ちかけるのかと。
面倒と言うのは悪いとは思うけど、僕にとっては面倒でしかない。
今は他人の感情よりも自分の感情と向き合いたい時なのに。
感傷に浸るのがいい事かはわからないよ。でも、そうしたい時だってあるじゃないか。
今はそんな真っ直ぐな感情は迎え入れられない。
誰が悪いかと云えば僕なんだとは思う。終わった事をいつまでも考えても何もならないよ。
でも、少しくらい考えさせてくれてもいいじゃないか。何故そこを理解しようとしてくれないのか。
悪意しか感じないし、慰めだったり憐れみが少しでもあるならそれは本当に悪意の極みだと思う。
昔から変わらないと思う。そうやって人を遠ざけてきた。わかってる。それでもやっぱり譲れなかった。
一応頑張って受け入れようとはした。挑戦した。もちろん、全てを受け入れるつもりはなかったけど。
それでも無理だった。熱意は伝わった。でも、熱があればあるほど嫌悪感を抱いてしまう。
なんでこんなのばっかりなんだろう。人の好意を悪意と捉えてしまう自分が嫌だし、そういう時期に限ってやたらと情熱的に迫られるのも釈然としない。
不幸を身に纏うと魅力的になるのだろうか。それもそれで嫌だな。
スポーツ
色々なスポーツがよく人生そのものだ、と表現されますよね。
僕もそう思ってて、まぁもちろんスポーツに限った事ではなく本気で打ち込める物は総べからず人生そのものに例えられると思います。
まぁ、スポーツで、となると大好きなサッカー、野球もそうなんだけど、強く思うのはやっぱりバスケットボールですかね。
これは全てのスポーツがそうだと思うけど、はたから見ると「なんで今そうなったんだ!」とか「俺ならここでこうするよ!」というのがあると思います。
ビール飲みながら野次ってる人も真理を突いてると思います。
俯瞰して見る、というのが難しい。これが共通点でしょうか。
なぜバスケットボールかという所なんですが、バスケットボールは試合終了時にだいたい100点前後の点数になります。つまり約50回はゴールを陥れる事になります。
人生においても、それくらいのゴール、そしてチャンスはありますよね。
そして、この場面での1点は試合を決定づけるぞ、とか、この1点で流れが変わるぞ、のように点数(ゴール)の価値が等しくないというところですね。
1/100でも、あの時のフリースローを外したのが勝負の分かれ目だなぁとか、それが人生にもあると思います。
、、、
今の自分はどうなんかなぁ。
たぶん、第2ピリオドで相手のフロントコート陣をファウルアウトさせようとしてるところでしょうか。笑
まだ10点取ったかどうかぐらいだと思います。笑
勝負所に備えて準備してる最中でしょうか。
第1ピリオドで試合を決定づけるような展開にしたかったけど、まだまだどう転ぶかわからない。
それもまた人生ですよね。
締めが適当。。。笑
心配
最近、色々とあったのでみんな心配してくれてます。ひしひしと感じます。
ありがたいですね。人と人の繋がりって温かいものですね。
からっぽになった気分だし、でも、からっぽの自分には何でも入る気がします。
気付かなかった事にも気付くようになったし、日々成長させてもらってるなと感じます。
この場所から得る物はまだたくさんある。
1日1日を無駄に出来ないな。
そういう思いが強くなりました。